前編からの続きです
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◎津市(ついち)の目抜き通りにある「元・宮市屋」の建物
1859年に建てられたこの建物は、今も残っています。宮市屋は、幕末から明治維新にかけて諸隊の集会所ともなり、有志活躍の舞台でもあります。
◎本陣・三原屋跡地
現在は、西中国信用金庫小郡支店となっていますが、維新前までは、「本陣」として、参勤交代の大名宿泊施設として使われていました。薩摩藩から輿入れした「篤姫」も宿泊したそうです。
三原屋事件としても名高いですが、文久3年8月、幕府から長州藩による外国船砲撃事件を詰問するため、中根市之丞を詰問使とした一行が宿泊した際に、過激な諸隊士が随員3名を殺害(その後、難を逃れた中根を中関沖で殺害)した事件の場所です。
◎白髭社(しらひげしゃ)
海の猿田彦とも言われ、長寿の神として崇められています。現在は、菓子舗「金子屋」の工場の脇に祠のみがあります。山口に政治堂を移した毛利藩が緊急の知らせを狼煙を使って岩国・下関等から収集した場所でもあります。
◎厚母家住宅(あつもけじゅうたく)
古くから、小郡で、薬屋を営なんでおり、最盛期には7軒まで保有する元締め的薬屋でした。(ふれあい通りに面しています。)
◎藩米津出蔵跡(はんまい・つだしぐら・あと)
東津橋の少し霜にあたる椹野川の土手下に今も残る1棟の倉庫があります。当時は山口本藩と小郡、美祢の3藩の米蔵として3棟ありました。
江戸末期、椹野川の洪水の危機が迫ったことにより、時の大庄屋の秋本4代目が美祢の米蔵から米俵を土留めに使い、土手の決壊を防いだそうです。
● 振り出しの小郡ふれあいセンターに戻って、丁度2時間の散策コースでした。
虎の巻を見ながらの解説でしたは、ガイド役もなかなか楽しいものでした。 ●
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