2017年12月20日水曜日

古地図を片手にまちを歩こう<小郡編・後編> ~明治維新と小郡~


前編からの続きです

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◎津市(ついち)の目抜き通りにある「元・宮市屋」の建物
 
 

 1859年に建てられたこの建物は、今も残っています。宮市屋は、幕末から明治維新にかけて諸隊の集会所ともなり、有志活躍の舞台でもあります。



◎本陣・三原屋跡地

 現在は、西中国信用金庫小郡支店となっていますが、維新前までは、「本陣」として、参勤交代の大名宿泊施設として使われていました。薩摩藩から輿入れした「篤姫」も宿泊したそうです。



 三原屋事件としても名高いですが、文久3年8月、幕府から長州藩による外国船砲撃事件を詰問するため、中根市之丞を詰問使とした一行が宿泊した際に、過激な諸隊士が随員3名を殺害(その後、難を逃れた中根を中関沖で殺害)した事件の場所です。




◎白髭社(しらひげしゃ)
 
 

 海の猿田彦とも言われ、長寿の神として崇められています。現在は、菓子舗「金子屋」の工場の脇に祠のみがあります。山口に政治堂を移した毛利藩が緊急の知らせを狼煙を使って岩国・下関等から収集した場所でもあります。




◎厚母家住宅(あつもけじゅうたく)
 
 

 古くから、小郡で、薬屋を営なんでおり、最盛期には7軒まで保有する元締め的薬屋でした。(ふれあい通りに面しています。)

 

◎藩米津出蔵跡(はんまい・つだしぐら・あと)
 
 

 東津橋の少し霜にあたる椹野川の土手下に今も残る1棟の倉庫があります。当時は山口本藩と小郡、美祢の3藩の米蔵として3棟ありました。

 江戸末期、椹野川の洪水の危機が迫ったことにより、時の大庄屋の秋本4代目が美祢の米蔵から米俵を土留めに使い、土手の決壊を防いだそうです。




● 振り出しの小郡ふれあいセンターに戻って、丁度2時間の散策コースでした。

 虎の巻を見ながらの解説でしたは、ガイド役もなかなか楽しいものでした。 ●

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