山口県観光連盟が今年と来年、幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン・明治維新150年特別企画として、
「古地図を片手にまちを歩こう」
が県下31ヶ所で行われることとなり、津田専務の居所・小郡も参加しております。過日、専務が初めてのガイド役を果たしましたので、その概要を報告します。
(なお、写真は、夏の研修中のものを使用しています。)
江戸時代から山陽道と石州街道が交わる交通の要所であった小郡。
幕末期には山口への玄関口として軍事上重要な場所となりました。
小郡では、江戸時代に作られた「御国廻御行程記」の古地図をもとに旧街道を歩きながら明治維新関連地などを巡ります。
※上記地図の小郡宰判勘場・御茶屋跡を出発点として、東西の街道(山陽街道)を行きつ戻りつ、東津橋までを散策します。
◎小郡宰判勘場・御茶屋跡
江戸寛永年間に初代代官が任命されており、1650年ころには、この勘場が設置されたものと思われます。その後、旧小郡町役場となり、現在は、新丁公民館や民家、道路(ふれあい道路)等になっています。
勘場跡の名残の石垣
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慶応元年(1865)に大田市之進ほか御盾隊幹部ら50数名の兵士が、勘場を襲撃し、代官に軍資金を要求する事件が起き、大庄屋の林勇蔵がこれに応じる決断をし、維新変革に貢献しています。また、井上聞多(馨)も代官を務めています。
◎高札場(こうさつば)の跡
※現存している高札場は、萩市にあります。
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※高札場・・・幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のこと
◎山陽街道と接する石見街道の始発点の道標
◎信光寺(浄土真宗)
維新前の奇兵隊決起後には、小郡でも諸隊が結成され、お寺に集結していました。
この寺には、八幡隊と集義隊が合体して結成された「鋭武隊五番隊屯所」の看板が残されています。
吉田松陰の叔父であり、元小郡代官でもあった玉木文之進が慶応元年に、この寺に役人、諸隊士、百姓らを集めて、長州藩の進むべき道を説きました。
後編に続きます!
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